日本バスケ界の大スター、富樫勇樹選手ですが、学生時代には父親である富樫英樹監督の下、中学時代まで独自の練習法で練習していました!
また、日本バスケ界の大スターになる前には高校時代をアメリカで過ごしました。しかし、父親と中学時代に作り上げた能力を、思う様に発揮できない時期が続きました。
今回は高校時代の苦悩や、父親である富樫英樹監督について書いてみましたので、最後までごゆっくりどうぞ!
富樫勇樹の父親はバスケ監督だった!中学時代に富樫勇樹が全国制覇した立役者!
実は、日本のエースである富樫勇樹選手の父親である富樫英樹さんが、バスケットボールの監督である、と言うことをご存知でしょうか?
富樫勇樹選手の母校でもある、新潟県新発田市立本丸中学校で監督を長年務めていました。
実際、富樫勇樹選手自身も本丸中学校で現役時代に、富樫勇樹選手も富樫英樹監督に指導をしてもらっていました。
富樫勇樹選手は、本丸中学校3年生のときに、全国中学校バスケットボール大会で優勝を飾り、全国制覇をしています。
この時の監督も、富樫英樹監督でした。
富樫勇樹 本丸中学 画像
全国制覇が出来るチームを作ることは、容易な事ではありません。
何より難しいのは、チームプレーなので1人の選手だけが、ズバ抜けて素晴らしい選手でも意味がないのです。
この本丸中学校時代から、富樫勇樹選手はバスケットボール界に名を轟かせていました。
「ズバ抜けて素晴らしい選手がいる。」
しかし、富樫勇樹選手のみのポイントで優勝までは、絶対と言っていいほど無理です!
つまり、富樫勇樹選手以外の選手も素晴らしい選手であったと言う事です。
そして、その選手達を指導したのが富樫英樹監督です。
簡単な言葉で表すならば、「すごい監督」これに尽きるのではないでしょうか。
強豪校を次々と撃破して大会を制した開志国際、チームを率いるのは千葉ジェッツ富樫選手のお父さん、富樫コーチでした。たっぷり語っていただいています!|創部5年の開志国際、富樫英樹コーチ「凡事徹底でつかんだインターハイ初制覇」#高校バスケ#インターハイ https://t.co/4Kmfra5xb1 pic.twitter.com/4ndY71FvlU
— バスケット・カウント (@basket_count) August 9, 2018
富樫勇樹の父親の現在は、高校バスケの監督!
そんな、バスケットボールの監督として輝かしい実績を残している富樫英樹監督ですが、
現在はどこにいて何をしているのか、気になりますよね!
現在の富樫英樹監督の名前を、ネットで検索してみると、現在の富樫英樹監督の状況がわかりました。
なんと、現在の富樫英樹監督は新潟県にある開志国際高等学校の、バスケットボール部で監督を務めています。
しかも、ここで凄いのは東海インターハイつまり、全国大会に出場をし、全国制覇しています!
中学校、高等学校とダブルで全国制覇をさせた敏腕監督です。
男子のバスケットボール部を、中学校、高等学校とダブルで優勝させた監督は、富樫英樹監督が初です。
なぜこんなにも、強豪チームを作り上げられるのか不思議ですよね。
続いては、富樫勇樹選手が中学校、高校時代の教えと習得した武器についてです。
富樫勇樹が中学校、高校時代に学んだ教えは?1番は、プレータイムを与えられることだった!
富樫勇樹選手が、父親である富樫英樹監督の指導を受けていたのは、新発田市立本丸中学校の時のみです。
富樫勇樹選手は、本丸中学校時代に全国制覇をしたことで自信をつけ、高等学校は単身アメリカに渡りました。
本丸中学校時代に学んだことと、富樫英樹監督の指導方法。
本丸中学校時代の監督である、富樫英樹監督は中々厳しい監督であることでも有名です。
また、「教えすぎないこと」をモットーに指導をしていました。
教えすぎないことにより、選手たち一人一人が考えてプレーをすると思います。
自主性が出てくるからこそ、プレーが磨かれていくのかもしれませんね。
また、富樫勇樹選手は現在でも魅せる華麗なシュートの1つである、フローターショットを習得しました。
このフローターショット、富樫勇樹選手のような小さな選手には、めちゃくちゃ便利なんです!
ディフェンスが、自分よりも身長が高くてもこのフローターショットを使って、球を浮かせて打つことで、ディフェンスを交わすことが出来ます。
富樫勇樹 シュートフォーム
富樫勇樹がアメリカの高等学校で学んだこと。
先程にも書いたように、富樫勇樹選手は本丸中学校を卒業後に、単身でアメリカに渡っています。
富樫勇樹選手が選んだのは、NBA選手を輩出するバスケットボールの名門校、モントロスクリスチャン高校でした。
しかし、ここで本場のアメリカでの洗礼を受けます。
第1の壁である「言葉が通じない」こと。
本丸中学時代には1試合で30得点も、1人で稼いできたエースが、言葉が通じないことによりプレータイムが与えられないのです。
バスケットボールは、チームでのコミュニケーションが必須のスポーツです。
コートの中のみならず、コートの外でのコミュニケーションを深めることで、試合中にアイコンタクトのみで素晴らしいプレーに繋がります。
どんなに練習をしても、プレータイムを貰えず更に、富樫勇樹選手のシュートフォームを変更してくれと言われました。
正直、このシュートフォームは富樫勇樹選手には合わなかったようで、とうとうシュートも入らなくなった時期もありました。
当時のことを、富樫勇樹選手は
「何よりも大切なことは、プレータイムを与えられること。」そう、感じた時期だと思います。
しかし、数年後にはすっかり英語を習得しチームメイトとのコミュニケーションを、円滑にとれるようになりました。
その後から、少しずつですがアシストをメインとするプレーで、プレータイムを与えられ始めたそうです。
試合終了。47-50でモントロス敗退。エースのJアンダーソンが残り10.3秒で2本の3を放つも決まらず。残念。富樫勇樹選手 @YukiTogashi にとって、これがモントロスでの最後の試合となってしまいました。お疲れさま。また次の舞台での活躍に期待。
— Yoko Miyaji (@yokomiyaji) March 30, 2012
ちなみにですが、そんな思い入れのあるモントロスクリスチャン高校は、残念ながらもう廃校となっています。
個人的には、アメリカで本場のバスケットボールを知れた事に関しては、とても有意義な時間だったと思います。
しかし、本丸中学校時代にはシュートを狙いにいくタイプの選手だけあって、アメリカでのアシストメインの選手というのに、本人ももどかしさを感じていたと思います。
次は、富樫勇樹選手が親孝行者であり、開志国際高等学校の手伝いをしていた事についてです!
富樫勇樹は親孝行者!開志国際高等学校の練習を手伝っていた!
現在、富樫勇樹選手の父親である富樫英樹さんは、新潟県にある開志国際高等学校で監督をしています。
開志国際高等学校は、2018年には東海インターハイを制覇させる程の強豪チームです。
この強豪チームを作るまでは、単純な道のりではありませんでした。
なぜならば、開志国際高等学校はバスケットボール部が出来てから、わずか5年しか経っていないからです。
普通、強豪チームといえば卒業生にプロの道を歩む選手がいたり、全国大会で名を馳せる選手が沢山います。
このような選手が生まれると、例えば大きな大会前にOBが練習を、手伝ってくれたり技術を教えてくれるなど、メリットがあります。
まだ創部5年の開志国際高等学校にはその歴史が全くありません。
しかし、東海インターハイが近づいていた日に、富樫英樹監督の息子である富樫勇樹選手が、自ら自分の所属チームの千葉ジェッツふなばしから、プロの選手を率いて練習を手伝っていました。
富樫勇樹 試合中 画像
その時のことを、富樫英樹監督は下記の様に語っています。
「多くの強豪校はOBが多くいて、大会前に壮行試合や激励会などをやっているようですが、ウチはまだOBが少ないので、息子が気を利かせてくれたんだと思います」。
引用:https://search.yahoo.co.jp
自ら考え、行動をして父親である富樫英樹監督を助けた富樫勇樹選手に、男気を感じますよね!
また、もし自分がバスケットボール部の創立歴が浅いチームにいた場合、富樫勇樹選手のような日本バスケットボール界の大スターが来たら嬉しいですよね。
「富樫勇樹に指導を受けた自分だから大丈夫だ!!」
そう思って、自信満々でプレー出来るはずです。
続いては、富樫勇樹選手のトレーニング方法です。
富樫勇樹のトレーニング方法が斬新!父親と考え出した方法とは?
当時の、富樫勇樹選手のトレーニング方法は、斬新であることでも有名でした。
普通、トレーニング方法といえばシューティングのみだったり、走り込みだったたり、1on1であったりします。
しかし、富樫勇樹選手は違いました。
テニスボールを真上に上げてドリブルを行う
というものでした!
めちゃくちゃ斬新ですよね。
この練習、正直難しいです。自分も実際にやりましたが、2つのことをするのはかなり難易度が高かったです…
どのような意図があるかと言うと、テニスボールを上げたときに、目線はテニスボールに行きます。
しかし、バスケットボールをドリブルし続けていなければならないので無意識にドリブルが出来るようになるという事です。
よく考えてみれば、富樫勇樹選手のボールハンドリングは、まるで日常動作のようなハンドリングです。
このハンドリング技術は、この独自の練習法で培われたのかもしれませんね。
また、富樫勇樹選手のような小柄なガードの選手には、バックハンドの技術も必要になります。
2018-2019シーズンの富樫勇樹選手の試合では、バックハンドドリブルがピカイチに光っていました。
次は、富樫勇樹選手の簡単なプロフィールです。
富樫勇樹のプロフィール
富樫勇樹 画像
生年月日 1993年7月30日
出身地 新潟県新発田市
身長 167cm
体重 65kg
ニックネーム とがぴ、ぴっぴ
富樫勇樹父親はバスケ監督!中学高校時代の教えと習得した武器とは まとめ
富樫勇樹選手の父親は、富樫英樹さんでしたね。
過去には、富樫勇樹選手の母校である新発田市立本丸中学校で監督をしていました。
現在は、開志国際高等学校で監督をしていて、全国制覇を達成しています!
富樫英樹監督の下で、バスケットボールが上達した富樫勇樹選手ですが、その裏には独自の練習法がありましたね。
現在、バスケットボールをプレーしている人であれば、真似をしてみたら良いかと思いました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
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