藤井快選手は、モスクワで開催されたスポーツクライミング世界選手権で優勝したプロのスポーツクライマーです。
東京2020オリンピックに出場できなかった悔しさをばねに、3年後パリオリンピックでのメダル獲得を目指している日本代表選手です。
藤井快選手の結婚、嫁子供画像、出身中学高校山岳部とスクエアクライミングセンター、世界選手権優勝などについて調べてみました。
詳しく調べてみましたので、ぜひ最後までご覧ください。
藤井快(ボルダリング)の結婚は?嫁子供画像は?
藤井快選手の名の「快」は「こころ」と読みます。快速、快走、軽快など「かい」という読みではお馴染みの漢字で、心が晴れ晴れして気持ち良い印象を与えます。
藤井快選手は、高校時代にクライミングで知り合った、沙季さんという方と2017年に結婚していました。
ついに!
入籍しましたー。 pic.twitter.com/ayA5Ni4zWe— 藤井 こころ (@ClimberHeart) March 13, 2017
二人は、クライミングジム「B-PUNPTOKYO秋葉原」に勤務していましたので、職場結婚ということになりますね。
沙季さんは、ご主人のために専門学校に通い、国家資格である鍼灸師の資格を取得しています。
現在は治療院とクライミングジムでダブルワークしながら、藤井快選手の体と心のケアをしています。
藤井快選手は、「僕にとって、”いない”ことが考えられない存在」とインタビューに答えています。
世界を駆け回って戦うアスリートの負担は、肉体的にも精神的にも計り知れないものがあると思います。藤井快選手にとっての奥様沙季さんのケアは百人力と言えますね。
お二人にはすでにお子さんもいます。沙季さんとお子さんの写真がインスタグラムにありました。
お子さんは女の子で生まれて50日、お家でおばあちゃんが作ってくれたドレスを着て、エアお宮参りの記念撮影を行いました。
可愛い女の子が生まれ、家族3人で迎える初めての正月です。藤井快選手はプロとなり、「覚悟の年になる」と新年の抱負を語っています。
安定した家庭が、アスリートのパフォーマンスを最大限に引き出す原動力になると思います。今後の活躍が楽しみです。
続いては、藤井快選手の出身中学高校山岳部とスクエアクライミングセンターについて調べてみました。
藤井快(ボルダリング)の出身中学高校山岳部は?スクエアクライミングセンターは?
藤井快選手の出身高校は浜松日体高等学校で、浜松日体高等学校が中高一貫校であることから、中学から通っていたのではないかという推測記事がいくつかありました。
藤井快選手は13歳から部活動でクライミングを始めました。中学校に入った部活が、クライングを始めるきっかけになったのだろうと推測されます。
浜松日体中学校・高等学校には山岳部があり、学校の体育館裏にクライミングウォールが設置されています。
浜松日体高等学校山岳部は?
浜松日体高等学校山岳部について調べてみました。
過去の素晴らしい成績を紹介します。
全国選抜大会団体優勝(2013年、2014年)
今年の山岳部員は二年生19人、一年生12人の合計31人で活動しています。
浜松日体高等学校山岳部の画像
主な活動は月例登山で、皆で力を合わせ、声を掛け合い励ましあいながら頂上にたどり着けば、そこに素晴らしい景色があり、大きな達成感を味わうことが出来るのです。
日々の活動は歩荷というトレーニングで、20キロ~30キロの荷物を背負い学校周辺を歩き、ジョギング、階段上り、体幹トレーニングなどを行っています。
藤井快選手の基礎体力は、このキツイ毎日のトレーニングで鍛えられたのだと推測します。
スクエアクライミングセンターは?
藤井快選手は学校の山岳部に所属しながら、浜松市の「スクエアクライミングセンター」でも練習していました。
スクエアクライミングセンターの画像
スクエアクライミングセンターには、傾斜の異なる最大14.5メートルのロープ専用壁が9面あり、ビギナーからエキスパートまで利用可能な施設です。
インドアクライミング施設としては珍しく、クラックも2種類あり、ボルタリング専用の様々な傾斜や珍しい曲面の壁が2面用意されています。
藤井快選手はクライミングの基礎をスクエアクライミングセンターで学んだのでしょうね。
続いては、藤井快選手の東京オリンピック出場とパリオリンピックについて調べてみました。
藤井快(ボルダリング)の東京オリンピック出場は?パリオリンピックは?
日本山岳・スポーツクライミング協会が、国際連盟に対して東京オリンピック出場基準の解釈変更取り消しを求めた、スポーツ仲裁裁判所への提訴が棄却され、藤井快選手の東京オリンピック出場はなくなりました。
日本山岳・スポーツクライミング協会は、国際連盟の当初方針に基づき代表選手の選考基準を策定し、8月の世界選手権大会と予選大会の結果全体で決めることにしていました。
しかし、国際連盟は解釈を変更し、世界選手権の結果だけで代表を決めることにしました。
完全に後出しジャンケンのようなものですね。
藤井快選手の画像①
戦わずして東京オリンピックの道を閉ざされ、藤井快選手は「結果は残念だが、現実として受け入れたい」と話しました。
世界選手権では、藤井快選手は日本人4位総合6位という結果で、代表内定どころかオリンピック参加資格も得られませんでした。
大会直後海外選手から「日本人はこの大会で五輪出場選手が決まっただろう?」と尋ねられ、藤井快選手は「話を聞いた時は驚いたし、もう練習する意味がないなと思った」と語っています。
1週間休養を取り、「ここまで練習してきたものを白紙にするのはもったいない」と考え直し、藤井快選手はオーストリアへ10日間の修行に旅立ちました。
そして、オリンピック資格獲得がかかる11月フランスで開催された国際大会に出場し優勝という成績を残しました。しかし、東京オリンピックへの出場はかないませんでした。
東京オリンピックを目指した4年間は、予期せぬ事態で不完全燃焼のまま終ってしまいました。
しかし、3年後のパリ2024オリンピックでもスポーツクライミングは正式競技として認められました。藤井快選手にとって、またとないリベンジの機会が与えられたのです。
藤井快選手は、「まだまだ強くなれる。今できることを全力で取り組み、パリに向けてしっかり準備する」と語り、パリオリンピックに向けて挑戦し続けることにしました。
続いては、藤井快選手の世界選手権優勝について調べてみました。
藤井快(ボルダリング)が世界選手権優勝とは?
藤井快選手が、スポーツクライミング世界選手権の男子ボルタリングで優勝を果たしました。
モスクワで開催されたスポーツクライミング世界選手権、2021年9月19日男子ボルタリング決勝が行われました。
決勝は6人で争われ、藤井快選手が課題の4コース全てを最後まで登り切り、初優勝を成し遂げました。
藤井快選手は、腕の力が求められる最初の課題を力強く登ってただ一人クリアすると、その他の3つの課題を安定した登りでクリアしました。
スポーツクライミング世界選手権の男子ボルタリングは、日本勢が4大会連続で優勝しており、前回優勝の楢﨑智亜選手は2位という結果となりました。
スポーツクライミング世界選手権の画像
藤井快選手は大会後のインタビューに「まだ現実に感じられず、ふわふわした感じだ。終始、落ち着いたトライができた。自分のできることを全力でやろうと決勝の前からずっと心がけ、それによっていい気持ちでできたと思う」と答えています。
藤井快選手はオリンピックについて、「どういう緊張感だったのか、あの場にいないと分からない。3年後、それを自分で感じられれば」と語り、パリオリンピックに向けて最高のスタートを切りました。
藤井快(ボルダリング)結婚や嫁画像は?出身中学高校も調査!まとめ
藤井快選手は奥様とお嬢さんという家族に囲まれ、アスリートとして最も充実した時間を過ごしているのだと思います。
トップアスリートの多くは皆、大きな挫折を味わいそれを乗り越えて栄冠を手にしています。
藤井快選手の今後の活躍、そしてパリオリンピックでのメダルを期待しております。
最後までご覧いただき有難うございました。
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