代木大和(明徳義塾)出身中学小学校は?父親もスゴ腕の野球選手だった!

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野球

代木大和選手は春の選抜高校野球に出場する明徳義塾のピッチャーで、今年のドラフト候補として各球団のスカウトが注目している選手です。

代木大和選手は184cmと長身から投げ下ろすストレート、スライダー、カットボールなどを武器に、的を絞らせない投球術が高く評価されています。

代木大和選手の出身中学小学校、父親もスゴ腕の野球選手、明徳義塾を選んだ理由、馬淵史郎監督、高校時代、ライバル、切磋琢磨した仲間などを調べてみました。

詳しく調べてみましたので、ぜひ最後までご覧ください。

代木大和(明徳義塾)出身中学小学校は?

代木大和選手の名前の読み方は、「しろき やまと」さんです。「代木さん」という姓は全国に50名というとても珍しい姓です。

代木大和選手は愛媛県四国中央市の出身です。四国中央市は温暖な気候の製紙産業を中心とする工業都市です。

 

代木大和選手の画像①

https://mainichi.jp/

代木大和選手は地元の四国中央市立南小学校1年生の時に、金田少年野球クラブに入り軟式野球を始めました。小学校時代は主に外野手を務めていました。

代木大和選手は四国中央市立川之江南中学校へ進み、川之江ボーイズに所属してピッチャーに転向しました。中学3年の時にはエース投手で4番バッターとして活躍していました。

四国地方の高校は野球の強豪校が多く、香川県の観音寺中央と愛媛県の済美は春の甲子園で優勝しています。愛媛県の松山商と高知県の明徳義塾は夏の甲子園で優勝しています。

代木大和選手の画像②

https://www.daily.co.jp/

代木大和選手は中学校時代に全国大会の出場の機会はありませんでしたが、才能が認められて多くの強豪校から勧誘を受け高知県の明徳義塾高校へ進みました。

続いては、代木大和選手の父親もスゴ腕の野球選手だったについて調べてみました。

代木大和(明徳義塾)の父親もスゴ腕の野球選手だった!

代木大和選手の父親の白木謙太さんも元野球選手です。

愛媛県の古豪 川之江高校ではピッチャーを務め、卒業後は亜細亜大学へ進み野手に転向しました。

松坂世代と言われる選手で、亜細亜大学の同期には元巨人の木佐貫洋投手、元広島の永川勝浩投手、元中日の小山良男選手など錚々たるメンバーがそろっていました。

大学4年生の時には大学選手権の明治神宮大会で日本一となりました。

その当時亜細亜大学の主将を務めていた小山良男選手は「あいつが覚醒したらドラフト1位です」と語っています。

代木大和選手は間違いなく父親のDNAを受け継いだのでしょう。

ほとんどの優れたアスリートは両親から優れたDNAを受け継ぎ、恵まれた環境でその才能を磨き上げ、そして良き指導者に出会いトップアスリートに成長しています。

代木大和選手もトップアスリートへの道を歩む選手の一人と確信しました。

続いては、代木大和選手の明徳義塾を選んだ理由は?馬淵史郎監督について調べてみました。

代木大和が明徳義塾を選んだ理由は?馬淵史郎監督!

代木大和選手が明徳義塾を選んだわけは、「馬淵史郎監督の指導を受けたい」という強い思いがあったからでした。

代木大和選手が中学3年の頃、馬淵史郎監督から指導を受ける機会があり、アドバイス通りに投げると「ミットに吸い込まれた。投げたことのない球筋だった」と代木大和選手は語っています。

馬淵史郎監督は代木大和選手について「主力になるのは間違いない。野球で飯が食える。3年になったら、ドラフト上位で指名される。市川が入ってきたときよりも上」と、東京ヤクルトからドラフト3位指名された市川悠太投手より上と評価しています。

馬淵史郎監督

馬淵史郎監督について少し調べてみました。

馬淵史郎監督は愛媛県八幡浜市大島の出身です。愛媛県立三瓶高校、拓殖大学で内野手としてプレーし、甲子園の出場経験はありません。

馬淵史郎監督の画像

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大学卒業後は松山に帰り松山物産で野球部の部長、松山ガスの部長を務めた後、1982年兵庫県の警備会社の阿部企業に入社して野球部のコーチから監督を務め、1986年には社会人日本選手権大会で準優勝に輝きました。

その後再び松山に帰り、1987年明徳義塾のコーチとなり教員免許取得後の1990年監督に就任しました。

馬淵史郎監督が就任後、明徳義塾は甲子園で数々の素晴らしい記録を残しています。

  • (甲子園通算)出場30回48勝29敗、優勝:1回、出場大会初戦:20連勝
  • (春の選抜)出場12回18勝12敗、ベスト4:1回、ベスト8:5回
  • (夏の選手権)出場18回30勝17敗、優勝:1回、ベスト4:3回、ベスト8:1回

馬淵史郎監督は明徳義塾を全国屈指の高校野球強豪校に育て上げました。

続いては、代木大和選手の高校時代について調べてみました。

代木大和(明徳義塾)の高校時代は?

代木大和選手は高校1年の春から背番号20を付けベンチに入り、四国大会1回戦の徳島北戦で公式戦初登板し、三振を奪っています。

高校1年夏はベンチ外となりますが、1年秋から再度ベンチ入りし高知県大会と四国大会の優勝を経験しています。

2年夏は甲子園交流試合に出場し、3年春は甲子園出場が決まっています。

代木大和選手は高校1年から3年まで素晴らしい成績を残しています。プロのスカウトが注目するのももっともですね。

続いては、代木大和選手のライバル、切磋琢磨した仲間について調べてみました。

代木大和(明徳義塾)のライバルは?切磋琢磨した仲間!

代木大和選手は2年生秋の高知県の決勝高知高校戦では、最速151キロを誇るライバルの右腕 森木大智選手と投げ合いました。

森木大智選手は高知高校に入学した1年生春に最速147キロをマークした剛速球投手です。

森木大智選手の画像

https://news.yahoo.co.jp/

代木大和選手は森木大智選手について「スピードは彼の方が上。でも高知を倒さないと甲子園にはいけない」と語っていました。

この決勝は延長12回日没コールドとなり、翌々日行われた再試合でも代木大和選手は力むことなく、丁寧な投球で完封し6対0で明徳義塾の優勝に貢献しました。

同年の四国大会の決勝では愛媛県の聖カタリナ学園と対戦しました。

この試合で代木大和選手は、川之江ボーイズ時代チームメイトの石川航大選手と対戦しました

石川航大選手はボーイズ時代ティー打撃練習を隣打席で行うなど、ライバルとして切磋琢磨した仲間なのです。

対戦する動画を紹介します。

動画中1分48秒付近でピッチャーとバッターとして二人は直接対決しています。

元チームメイトどうしの対戦は、二人にとって特別なものがあるでしょう。二人が成長するステップにしてもらいたいと思います。

代木大和(明徳義塾)出身中学小学校は?父親もスゴ腕の野球選手だった!まとめ

代木大和選手の春の甲子園 選抜高校野球大会での活躍が楽しみです。

明徳義塾は3月19日開会式後の第2試合で名門 仙台育英と対戦します。

代木大和選手がどんな投球を見せてくれるか楽しみです。

代木大和選手の益々の活躍を期待しております。

最後までご覧いただき有難うございました。

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