大野奨平選手はリオデジャネイロオリンピック柔道73kg級で金メダルを獲得した日本代表選手です。
大野奨平選手はお兄さんとおじさんの影響で自然に柔道を始め、中学からは柔道一直線の選手生活を送り、オリンピック金メダリストになりました。
大野奨平選手の経歴身長体重、中学・高校・大学時代の成績について調べてみました。
詳しく調べてみましたので、ぜひ最後までご覧ください。
大野奨平(柔道)のwiki風経歴身長体重は?
生年月日:1992年2月3日
出身地:山口県山口市
小学校:山口市立良城学校
中学校:世田谷区立鶴巻中学校
高等学校:世田谷学園高校
大学:天理大学体育学研究科
階級:73kg
身長:170cm
血液型:O型
組み手:右組み
段位:四段
得意技:大外刈りと内股
所属:旭化成
大野奨平選手の画像①
大野奨平選手は2歳年上の兄哲也さんと二人兄弟です。
大野奨平選手は7歳の時に地元山口市の「松美柔道スポーツ少年団」に入団して柔道を始めました。
お兄さんが柔道をすでに始めていて、道場の先生が親戚のおじさんであったこともあり、大野奨平選手は道場に遊びに行っているうちに柔道を始めていました。
「松美柔道スポーツ少年団」の2年先輩にはその後世界チャンピオンとなった上川大樹さんも在籍していました。
上川大樹さんは2010年に東京で開催された世界選手権で世界チャンピオンとなっています。
大野奨平選手は子供の頃、お兄さんとおじさんが柔道をしている環境の中で育ち、道場に一緒に通い何のためらいもなく柔道選手になったのだと思います。
ご両親から受け継いだ大野奨平選手の才能は、子供の遊びの中で自然に磨かれ鍛えられていったのだと思います。
続いては、大野奨平選手の出身中学・高校での成績と講道学舎について調べてみました。
大野奨平(柔道)の出身中学・高校での主な成績は?講道学舎では?
大野奨平選手は地元山口の小学校を卒業すると、兄哲也さんの後を追って上京して講道学舎に入塾し、中学・高校は近くの鶴巻中学校と世田谷学園高校に通っていました。
講道学舎は1975年ダイニッカ株式会社代表取締役社長の故・横地治男氏によって創立されました。
講道学舎は財団法人日本柔道育英学会によって管理運営され、日本全国から将来有望な柔道選手が集まり、中高一環で選手強化を行うエリート養成私塾でした。
これまで、古賀稔彦氏(6期生)、吉田秀彦氏(8期生)、瀧本誠氏(13期生)、そして大野将平選手(30期生)と4名のオリンピック金メダリストを輩出しました。
講道学舎の画像
左から吉田秀彦氏、澤田篤士氏、古賀稔彦氏です。
しかし、時代の変化とともに講道学舎は2015年閉塾となりました。
講道学舎で育った多くの選手が深い感謝の思いを語っています。
40年もの間資材を投じて柔道発展のために貢献されたことが、今の柔道界を支えているのだと思います。凄いことですね。
指導者の持田治也氏によると、所属した当初の大野奨平選手は同期選手8名中の7番目の選手でしたが、中学2年生になるころには大野奨平選手の一切妥協しない真剣勝負の姿勢に押され、上級生も大野奨平選手と組みあうことを避けるほどの実力となっていました。
大野奨平選手は当時の事を、「あまりの辛さに泣いていた記憶しかない」と語っています。
大野奨平選手は中学校を卒業し、世田谷学園高校に進みました。
大野奨平選手は中学・高校時代次のような成績を上げました。
大野奨平選手が語っているように、講道学舎での練習の日々は大変厳しいものだったのでしょう。
しかし、大野奨平選手が一切妥協せずに練習できたことが金メダルへつながったのだと思います。
続いては、大野奨平選手の出身大学での成績と6試合オール1本勝ちについて調べてみました。
大野奨平(柔道)の出身大学での成績は?6試合オール1本勝ち伝説!
大野奨平選手は高校を卒業し、天理大学へ進学しました。
大野奨平選手は、大学1年の時に全日本代表チーム監督の篠原信一氏に認められ、ジュニアからシニアの強化指定選手として合宿に参加し力を蓄えて行きました。
【激論一本勝負】 #篠原信一 さんが #大野将平 に突撃インタビュー…重量級から主役を奪う #柔道 #Judo
スポーツ報知 https://t.co/M703wJYaia
— スポーツ報知 五輪取材班 (@hochi_sports) April 18, 2020
元五輪メダリストの篠原信一氏と大野奨平選手です。
大野奨平選手は大学2年の時にはワールドカップ・オーバヴォルトに出場し、シニアの国際大会で初優勝を飾りました。
大野奨平選手は大学4年で出場した世界選手権では、初戦で元世界チャンピオンの韓国の王己春選手と対戦し反則勝、第2戦は内股と反則で勝利を収めました。
準々決勝は元世界2位オランダのデックス・エレモントと対戦し延長戦払い腰1本勝ち、準決勝では元世界3位のベルギーのディルク・バンティヘルトを大外刈りで1本勝ちしました。決勝はロンドンオリンピック銅メダルのフランスのウゴ・ルグランを、内股の後の跳腰(はねごし)で破り優勝を果たしました。
大野奨平選手は6試合オール1本勝ちという偉業を成し遂げました。
この時大野奨平選手は、「前に出る攻撃的な柔道ができた。全て一本で勝てたことは満足している。勝ち続ける選手になりたい。もっと強くなってリオ五輪でまたここに戻って来たい」と語っています。
大野奨平選手は大学時代次のような成績を上げました。
大野奨平選手が自分のモチベーションについて語っている動画を紹介します。
「偉大な選手と試合をすることが唯一のモチベーション」と語っています。
大野奨平選手は篠原信一氏に高く評価され、それにこたえるように次々と好成績を上げました。
多くの一流アスリートは、成長する大事な場面で良き指導者に出会っています。
大野奨平選手は篠原信一氏に出会って大きく成長したのだと思います。
大野将平(柔道)wiki経歴身長体重!出身大学・高校での成績は?まとめ
大野奨平選手は柔道の申し子ともいえる才能と強い精神の持ち主だと思います。
大野奨平選手がリオオリンピックに続き、東京オリンピックでも金メダルを獲得する試合を応援したいと思います。
最後までご覧いただき有難うございました。
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