田村煕選手はサントリーのプロ・ラグビー選手で、サントリーがジャパントップリーグ王座奪環の為のSO(スタンドオフ)司令塔です。
田村煕選手が日本代表に選ばれて、田村煕選手と田村優選手が兄弟そろって、桜ジャージを着る日が来ることが大いに期待できます。
田村煕選手の兄弟の田村優選手、プロフィール経歴、身長体重、高校での急成長、移籍・出場停止など調べてみました。
詳しく調べてみましたので、最後までご覧ください。
田村煕は田村優の兄弟?父親もラグビー選手?
田村煕選手は田村優選手の5歳下の弟です。
田村優選手は2019年ラグビーワールドカップの日本代表のSO(スタンドオフ)として活躍し、正確なパスとキックで日本代表をベスト8まで勝ち昇らせた立役者の一人です。
田村煕選手と田村優選手の画像
田村煕選手の父親の田村誠さんもトヨタ自動車で活躍した元ラグビー選手で、引退後はトヨタ自動車ラグビー部監督も務め、全国社会人ラグビーフットボール大会で優勝を収めた名監督です。
田村煕選手は3歳から中学まではサッカーをしていました。
田村優選手も中学まではサッカーをしていました。
二人とも高校からラグビーを始めました。
田村煕選手は中学卒業ぎりぎりまで、サッカーにするかラグビーにするかを迷っていましたが、兄の田村優選手が出場した早明戦を見たこと、そして父親からの勧めもありラグビーを選びました。
続いては、田村煕選手のプロフィール経歴、身長体重・出身地について調べてみました。
田村煕のプロフィール経歴?身長体重・出身地は?
田村煕選手の画像①
田村煕選手は中学校を卒業し田村優選手と同じ国学院栃木高校へ進みました。
続いては、田村煕選手が高校でラグビー選手へ成長と監督の優しく厳しい指導について調べてみました。
田村煕が高校でラグビー選手へ急成長とは?監督の優しく厳しい指導!
田村煕選手は国学院栃木高校に入り、一人暮らしを始めラグビー部に入部しました。
国学院栃木高校は、20回以上の花園(全国高校ラグビー選手権大会)出場を誇るラグビーの名門校で、トップリーグで活躍する多くの選手を輩出しています。
国学院栃木高校ラグビー部の吉岡肇監督は、田村煕選手の父親田村誠さんと國學院大學久我山高校時代の同級生です。
田村煕選手は監督の家のすぐ隣にあるアパートに住んでいました。
田村煕選手の画像②
吉岡肇監督はラグビー初心者の田村煕選手に対し、最初はランやパスを褒めてくれましたが、試合に出られるようになった1年生の夏ごろからは怒られることも度々でした。
田村煕選手は1年生の時に花園の出場メンバーに選ばれ、1分間だけ怪我をした選手の交代選手としてピッチに立ちました。
田村煕選手は2年生の夏合宿では30分の試合を数多くこなし、怪我をしないと褒められましたが、少しの痛みで休むと厳しく叱られ、メンタル強化の必要性を実感しました。
田村煕選手は2年生の時に全国を9ブロックに分けたU17の関東代表に選ばれました。
この大会で初めて関東代表が優勝しました。
その後、U17の日本代表にも選ばれました。
田村煕選手が2年生で出場した花園では3回戦まで進み、十数年ぶりに国学院栃木高校は正月を花園で迎えました。
翌年3年生の時には関東大会優勝、国体3位、花園では東海大仰星高校に敗れベスト8という結果でした。
田村煕選手は高校になって初めてラグビーを始め、優しく厳しい監督の指導の下で、サッカーで鍛えた身体能力を生かして急成長を成し遂げました。
続いては、田村煕選手の明治大学での成績について調べてみました。
田村煕の明治大学での成績は?
田村煕選手は高校を卒業し明治大学へ進みました。
田村煕選手の画像③
田村煕選手は大学2年生の2013年から関東大学対抗戦と大学選手権に出場しました。
この年は関東大学対抗戦Aグループ5位、大学選手権プールC 2位という結果となりファイナルステージ進出はかないませんでした。
田村煕選手が大学3年生の2014年は関東大学対抗戦Aグループ3位、大学選手権ではプールC 2位となりまたしてもファイナルステージ進出はかないませんでした。
田村煕選手が大学4年生の時には、関東大学対抗戦では帝京大学に次ぐ2位、大学選手権ではプールDを1位で突破しファイナルステージに進みましたが、準決勝で東海大学に敗れ決勝進出はかないませんでした。
田村煕選手が大学に在籍した4年間は帝京大学が抜群の強さを発揮していました。
明治大学は今年関東大学対抗戦では早稲田を破り優勝しましたが、大学選手権では早稲田に逆転され準優勝となりました。
続いては、田村煕選手のサントリーへの移籍と出場停止・成長が恩返しについて調べてみました。
田村煕がサントリーへ移籍と出場停止とは?成長が恩返し!
田村煕選手は明治大学を卒業し、2016年東芝ブレイブルーパスに入団しプロのラグビー選手としての道をスタートさせました。
東芝ブレイブルーパスは日本のトップリーグに加盟するラグビーチームで、日本代表キャプテンのリーチマイケル選手などが在籍し、これまでにトップリーグ優勝5回・日本選手権優勝6回という歴史と実績のあるラグビーチームです。
田村煕選手は東芝ブレイブルーパスに加入した翌年の2017年に、自ら希望してサントリーサンゴリアスに移籍しました。
田村煕選手の画像④
田村煕選手は移籍を決意した理由を次のように語っています。
この移籍が原因となり、1年間公式試合に出場できなくなりました。
ジャパンラグビートップリーグ規約の中に選手の移籍について次のような規約があります。
前所属チーム(JRTL加盟チームであるか否かを問わない)を退部し、JRTLに加入する他チームへ移籍した選手は、JRTLが届けを受理した日より1年間公式試合には出場できない。ただし、「選手離籍証明書」を所有し、国内外を問わず移籍前の1年間に亘り所属していた前チームから「移籍承諾書」を発行されている選手は所定の選手登録手続完了後、ただちに公式試合出場が認められる。なお追加登録期限(毎年8月末日)を過ぎた場合は、翌シーズンまで新チームでのトップリーグ公式試合出場は出来ない。
引用:http://archive.top-league.jp/
要約すると「移籍証明書」がなければ1年間公式試合に出られないという規約です。
田村煕選手は、東芝ブレイブルーパスから「移籍証明書」が出なかったため、1年間公式試合に出られませんでした。
成長が恩返し
試合に出られない1年間、田村煕選手はサンウルブズの日本代表候補選手として練習し、母校の明治大学のトレーニングにも参加して練習を続けました。
その当時のことを田村煕選手は「東芝の方、サントリーの方、明大の丹羽監督、いま伝えられなかった方も…。色んな人に迷惑をかけ、支えてもらってきた。ラグビー選手として結果を出さないと、恩返しはできない」と語っています。
田村煕選手が移籍の一部始終を元同僚のリーチマイケル選手に伝えると、リーチマイケル選手は「そりゃ、行って欲しくはない。でも、成長してくれるのが一番いい」と返しました。
田村煕(ひかる/ラグビー)と田村優は兄弟!wiki経歴や身長体重は?まとめ
田村煕選手は高校からラグビーを始め急成長し、高校2年ではU17日本代表に選ばれました。
サントリーへの移籍で公式試合に出られない1年間を無駄にすることなく、より高いステージを目指して努力しました。
オールブラックスのバレット兄弟のように、田村優選手と田村煕選手が兄弟で日本代表となって活躍することを期待しております。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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