福岡堅樹選手は日本で開催されたラグビーワールドカップ2019で4トライを挙げ、日本のベスト8強入りに貢献した日本代表のラグビー選手です。
今後について福岡堅樹選手は、東京オリンピックの7人制ラグビーを最後にラグビーから引退し、医師を目指すことを公言しています。
福岡堅樹選手の通う医学部、実家の病院は古賀市の歯医者、プロフィール経歴などについて調べてみました。
詳しく調べてみましたので、最後までご覧ください。
福岡堅樹の通う医学部はどこ?筑波大学医学群?
福岡堅樹選手はラグビー引退後筑波大学の医学群医学類を目指すと予想する記事がネット上にたくさんありました。
ここで聞きなれない医学群医学類というのは、筑波大学特有の用語で、他大学では医学部医学科を意味します。
複数の予想記事では、福岡堅樹選手が過去に二度筑波大学の医学群医学類を受験し失敗していることから、ラグビー引退後福岡堅樹選手は再度挑戦するだろうと予想しています。
福岡堅樹選手は高校卒業後、ラグビー選手と医者になるという2つの目的をかなえるために筑波大学進学を目指しました。
しかし、現役での受験に失敗し、一浪時の受験でも失敗してしまいましたが、一浪時に筑波大学情報学群に合格しラグビー部に入部しました。
福岡堅樹選手はラグビーの遠征先でも受験勉強を続けているそうです。そして、福岡堅樹選手の集中力をもってすれば医学群への難関突破もなしうると予想しました。
続いては、福岡堅樹選手の実家の病院は歯医者で古賀市にあると祖父も医者について調べてみました。
福岡堅樹の実家の病院は歯医者で古賀市にある?祖父も医者!
福岡堅樹選手の実家は福岡県古賀市の福岡歯科医院という歯医者さんでした。
福岡堅樹選手のお父さん福岡綱二郎さんが院長を務めています。
福岡賢樹選手父・綱次郎さん
大阪大歯学部卒の綱二郎さんの兄は内科医、母のぶさん(55)の父も内科医。
家族や親せきにこれだけ医師が揃っているというのはかなり珍しいですよね。
福岡家は医者の家系ですが、お父さんが福岡堅樹選手に「医者になれと」いったことはないそうです。
続いては、福岡堅樹選手が医者を目指す理由と高校時代に大けがについて調べてみました。
福岡堅樹選手が医者を目指す理由は?高校時代に大けがとは?
福岡堅樹選手が医者を目指す理由は、もちろん家族の影響が大きかったと思われますが、高校時代に靭帯の大けがをしたことが大きかったのです。
高校2年生の時左膝の十字靭帯断裂という怪我をして手術しました。選手生命にもかかわるこの大けがの時、整形外科医の前田先生に出会いました。
福岡堅樹選手と前田先生の画像
手術後リハビリも順調に進みラグビーに復帰しましたが、高校3年の5月、あろうことか今度は右足の靭帯を断裂しました。
福岡堅樹選手は「今年はやりたい」と諦めませんでした。
福岡堅樹選手は勧められた手術を受けずに花園を目指すと決めお父さんにもこのことを伝えました。
お父さんは「それなら、やれるところまでやれ」と返すしかありませんでした。
毎週2~3回リハビリに通い、膝をテーピングで固めて試合に出ました。
前田先生は「どこまで行けるか分からない綱渡り。1試合1試合、祈るような気持ちだった」と語っています。
そして県予選を勝ち抜き目標の花園、全国大会出場を成し遂げました。
花園の1回戦では、福岡堅樹選手の逆転トライもあり勝利しましたが、2回戦では膝はもうすでに限界に達し、相手選手と接触し膝から崩れ落ちました。
グラインドを退場する時、福岡堅樹選手は前田先生に肩を抱かれたまま「先生のおかげでここまでやることができました」と伝えました。
福岡堅樹選手がこの時の心境を語る動画がありました。
福岡堅樹選手が医者を目指す理由は、この大けがに医者としてかかわる前田先生の姿が大きく影響したのだと、多くの記事で書かれています。
スポーツ選手は勝利の為に常に体の限界に挑戦しています。それゆえに怪我がつきもので、特にラグビーは格闘技と球技が組み合わさった競技の為怪我が多くなります。
福岡堅樹選手が医者を目指す理由は、大きなけがを克服した自らの経験によるものであると確信しました。
続いては、福岡堅樹選手のプロフィール経歴と身長体重・出身地について調べてみました。
福岡堅樹のプロフィール経歴!身長体重・出身地は?
福岡堅樹選手の画像①
福岡堅樹選手はお父さんの影響で5歳の時にラグビーを始めました。お父さんも高校・大学とラグビーをしていました。
中学校にはラグビー部がなかったため、中学までは玄海ジュニアラグビークラブでラグビーを続けました。
福岡堅樹選手は中学校を卒業し、進学校の福岡高校に進みました。
福岡高校にはラグビー部があり、福岡堅樹選手はラグビー部に入部し花園を目指しました。
福岡堅樹選手は高校時代大きな怪我が2度ありましたが、高校3年生の時に花園出場を成し遂げました。
福岡堅樹選手は高校卒業後一浪し筑波大学に進みました。
筑波大学に2012年入学し1年生の時に、日本体育大学戦で関東大学ラグビー対抗戦デビューを果たし6トライを挙げる大活躍、その後も主力メンバーとして活躍し、筑波大学の関東大学ラグビー対抗戦初優勝に貢献しました。
さらに同年の第49回全国大学選手権大会では、筑波大学の準優勝という成績にも貢献しました。
2013年には日本代表に選抜され、2015年のラグビーワールドカップ日本代表にも選抜されました。
福岡堅樹選手は大学を卒業しパナソニックワイルドナイツに加入しました。
そして2019年日本で開催されたラグビーワールドカップ日本代表に選ばれました。
続いては、福岡堅樹選手のワールドカップでの活躍について調べてみました。
福岡堅樹選手のワールドカップでの活躍は?
福岡堅樹選手は2019ラグビーワールドカップ日本代表に選ばれ、大会直前の負傷で初戦のロシア戦は欠場しましたが、2戦目のアイルランド戦から4試合に出場し4トライを挙げる活躍をしました。
福岡堅樹選手の画像②
福岡堅樹選手は大会終了後、大会公式ウェブサイトが選ぶ「別格だったマグニフィセント・セブン(豪華な7人)」に、Bバレット、マロ・イトジェらの豪華メンバーとともに選ばれました。
続いては、福岡堅樹選手のパナソニック最後の試合とグッバイ、ケンキについて調べてみました。
福岡堅樹のパナソニック最後の試合は?グッバイ、ケンキとは?
福岡堅樹選手はトップリーグ最後の試合となったトヨタ自動車との戦いを40-20の勝利で飾ることが出来ました。
福岡堅樹選手の画像③
パナソニックのチームメイトが「福岡を気持ちよく送り出す」をテーマにした試合でした。
試合終了後チームメイトの稲垣選手は、福岡堅樹選手とのやり取りを次のように語っています。
また、チームメイトでオーストラリア代表のデービッド・ポーコック選手は、ツイッターで福岡堅樹選手の新たなチャレンジに次のようなエールを送りました。
福岡堅樹の通う医学部はどこ?実家病院は歯医者で古賀市にある?まとめ
福岡堅樹選手は2019ラグビーワールドカップで大活躍し、マグニフィセント・セブンにも選ばれ世界から評価されるラグビー選手となりました。
しかし、福岡堅樹選手は医者になるという次の夢をかなえるため、東京オリンピックのセブンズラグビーを最後に引退することを公表しました。
東京オリンピック、そして医者という夢へのチャレンジを応援しています。
今後の活躍を期待しています。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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