林晃汰wiki風プロフィールや経歴は?出身高校や中学も気になる!

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林晃汰wiki風プロフィールや経歴は?出身高校や中学も気になる!と話題になっています。林晃汰選手は智辯和歌山時代、甲子園にも出場し、高校通算49本塁打を記録。

その長打力を買われて広島カープに昨年のドラフト会議で3位指名を受けて入団しました。3月のオープン戦では早くも一軍デビューを飾るなど、期待されたスラッガー候補です。

今回は林晃汰wiki風プロフィールや経歴は?出身高校や中学も気になる!の話題について調べてみました。是非最後までご覧ください!

林晃汰のプロフィールをチェック

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まずは林晃汰選手のプロフィールを見てみましょう。

生年月日:2000年11月16日生まれ
身長:181㎝
体重:87㎏
血液型:O
投打:右投左打
ポジション:サード

180センチを超える堂々たる体躯は同期の小園海斗らの高卒で広島カープに入団した選手たちの中では最も大きいものでした。この高身長が高校通算49本塁打の源になっていると言えるでしょう。

そして林晃汰選手が高校時代に守っていた主なポジションはサード。現在の広島カープでは安部友裕が守っていますが、今季30歳になる年齢に加え、昨季までの通算本塁打は16本とサードを守る選手にしては少なめです。

林晃汰選手が順調に成長を遂げるころにはサードのポジションが空き始めるころだと予想されるので、強打の林晃汰選手がここでポジションを掴めれば一気に飛躍することになりそうです。

林晃汰の経歴・性格は?

林晃汰選手が生まれたのは和歌山県岩出市。3人兄弟の末っ子として生まれました。上のお兄さん2人も野球をしていて、一番上のお兄さんは神戸国際大学付属高校に在籍していたころに夏の甲子園出場を果たすほどでした。

やはり、兄弟揃って野球の才能がある一家だったと言えるでしょう。

林晃汰選手の実家は農家で、農作業は子どもたちのお手伝いのひとつ。林晃汰選手も例外ではなく、小さなころから家の手伝いをしていたといいます。こうしたところからもまじめな性格がうかがい知ることができますね。

そして林晃汰選手が小学1年生の時、地元岩出市にある岩出ヤンキースに入団。すると間もなく捕手として起用されるようになりました。グラウンドの要ともいうべき難しいポジションですが、それをこなせるだけの地頭の良さが林晃汰選手にあったと言えるでしょう。

その後、林晃汰選手は順調に成長して、小学6年生になると、なんと阪神タイガースの小学生チームである「阪神タイガース・ジュニアチーム」に在籍するようになります。

プロ野球チームの名を冠していることからも想像がつきますが、このチームは入団するまでに選考会が3度も行われるという厳しいもので、それを合格して入団したというのだから、やはり林晃汰選手は子供のころから野球の才能に溢れていたと言えるでしょう。

林晃汰の出身高校・甲子園成績は?

続いて林晃汰選手の出身高校について紹介します。

林晃汰選手が在籍した高校は地元・和歌山の名門校である、智辯和歌山高校

1979年に創部し、2年目に高嶋仁監督が就任してからと言うものその頭角をメキメキと表しはじめ、甲子園球場で行われる全国大会では春のセンバツ大会が12回出場夏の甲子園は22回も出場を果たし、優勝は春夏合わせて3度という超強豪校。

林晃汰選手の他にプロ入りした選手は数多く、現役選手では北海道日本ハムファイターズの西川遥輝、千葉ロッテマリーンズの東妻勇輔、そして中日ドラゴンズの岡田俊哉などがプロの世界で活躍しています。

そんな超名門校に入学した林晃汰選手はなんと入学間もない1年生の春のころからベンチ入りを果たすなど早くから期待されていました。春に行われる近畿大会では1年生ながら林晃汰選手は6番サードで起用されて、2安打を放つという上々のスタートを切っています。

もちろん、夏の和歌山県大会でも林晃汰選手はレギュラーを獲得。3回戦では2点本塁打を放つなど持ち前の長打力を遺憾なく発揮しましたが、この年の智辯和歌山は残念ながら予選で敗れてしまい、林晃汰選手の甲子園デビューはお預けとなりました。

1年生の秋から林晃汰選手は3番サードのポジションを不動のものとして、近畿大会の緒戦の滋賀学園戦では本塁打2本、2塁打1本と言う大当たりでしたが、ここでもチームは敗退。同時に翌春のセンバツ大会を逃す形となりました。

林晃汰選手が全国デビューを果たしたのは2年生夏の甲子園大会。この年の和歌山県大会では打率.471本塁打1打点10という好成績を収め、甲子園の1回戦でも左中間に2点本塁打をかっ飛ばすという鮮烈な全国デビューを飾りましたが、この試合中に右のひじを痛めてしまい、続く2回戦は代打出場のみでした。

右ひじは検査の結果、疲労骨折ということが判明し、その影響もあり秋の大会には不出場。しかし、強豪・智辯和歌山は林晃汰選手の不在をものともせずに勝ち進み、翌春のセンバツ大会の出場を決めました。

ケガが癒えた林晃汰選手でしたが、春のセンバツ大会での打率は.190とイマイチ。しかし、それでも本塁打1本に加え、6打点を記録。要所要所で活躍するという主砲らしい成績を収め、智辯和歌山としては18年ぶりとなる準優勝に大きく貢献しました。

一躍プロ注目選手となった林晃汰選手が迎えた最後の夏。県大会では前年に続いて打率4割台を記録。春のセンバツの成績もあり、智辯和歌山は優勝候補として注目されましたが、結果はまさかの初戦敗退。滋賀県代表の近江高校の細かな継投策にしてやられ、林晃汰選手自身も3打数1安打に封じられる有様でした。

しかし、高校時代に通算49本塁打と長打力は抜群で、しかも強肩。さらに名門智辯和歌山で主軸打者として活躍した点はプロのスカウトたちから高く評価され、大会終了後にはドラフト候補として注目を集めることになります。

和歌山県出身ということもあり、注目したのは阪神、オリックスと言った在阪球団の各チーム。広島もスカウトが高く評価していましたが、先述の阪神タイガース・ジュニアチームに在籍したことから、当時は阪神入りがかなり有力視されていました。

林晃汰の出身中学・シニアリーグは?

http://www.twipu.com/u_uYokuneruyo/tweet/1107249958636253186

http://www.twipu.com/u_uYokuneruyo/tweet/1107249958636253186

智辯和歌山への入学でスターダムにのし上がっていった林晃汰選手ですが、中学時代からその活躍は知られていました。

林晃汰選手の出身中学は地元の岩出中学校。小学生時代は捕手を務めていたという林晃汰選手ですが、中学でもそのポジションは変わらないまま。鋭い送球を可能にする強肩に抜群のバッティングは確かに捕手として魅力あふれるものだったと言えるでしょう。

そんな林晃汰選手は中学の部活ではなく、紀州ボーイズというリトルリーグでプレー。和歌山県内の野球少年たちのエリートたちが所属するチームですが、ここの先輩には後に智辯和歌山でも先輩となる東妻勇輔はもちろん、山崎晃太朗(ヤクルト)もいます。

林晃汰選手は中学時代からその長打力を武器に主軸として活躍。中学生にして通算本塁打は32本というとんでもない数の本塁打を放っていました。この長打力を見た智辯和歌山の監督・高嶋仁は林晃汰選手をスカウト。晴れて入学にこぎづけています。

後に高嶋仁は林晃汰選手を「長打力ならば智辯和歌山史上でも1、2を争うほど」と評していました。100回大会を最後に勇退した高嶋仁が育てた最後の大物として林晃汰選手の名が今後、挙がることでしょう。智辯和歌山出身の選手では過去の例を見るとスラッガータイプの選手が少なかったため、林晃汰選手がスラッガーとしてプロの世界でも活躍できるか注目が集まります。

林晃汰wiki風プロフィールや経歴は?出身高校や中学も気になる!のまとめ

林晃汰wiki風プロフィールや経歴は?出身高校や中学も気になる!の話題について調べてみましたが、いかがでしたか? あの強打をウリにする智辯和歌山出身で、名将と誉れ高い高嶋監督をもってして「長打力は智辯和歌山でも歴代1、2位を争う」と言わしめたスラッガー。今後の活躍が期待されます。最後までご覧いただきありがとうございました。



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