清原勝児選手は、2023年春の甲子園に出場を決めた、慶應義塾高校(神奈川)野球部の内野手です。
清原勝児選手は、西武・巨人などで活躍した偉大な元プロ野球選手の清原和博さんの次男で、3歳上のお兄さんも慶応大学で野球をしています。
清原勝児選手の兄は慶応大学の野球部、身長・体重プロフィール、小学・中学時代、高校での主な成績と背番号などを調べてみました。
詳しく調べてみましたので、ぜひ最後までご覧ください。
清原勝児(慶応)の兄は慶応大学の野球部?
清原勝児選手の兄の正吾さんも、慶應義塾大学野球部で内野手として活躍しています。
正吾さんの画像
正吾さんは、小学生時代は「オール麻布」に所属し、4番バッターとして活躍していました。
清原勝児選手も「オール麻布」に所属していましたから、兄の正吾さんを追いかけて野球を始めたのかもしれませんね。
正吾さんは、中学から高校時代は野球から離れ、バレー部やアメフト部に所属していましたが、大学で再び野球にチャレンジすることにしました。
そのきっかけについて、正吾さんはブログの中で次のように語っています。
親譲りの才能を持つ二人の兄弟が、今後どのような活躍をするのかが楽しみです。
続いては、清原勝児選手の身長・体重プロフィールについて調べてみました。
清原勝児(慶応)の身長・体重プロフィールは?
生年月日:2005年5月1日
出身地:東京都港区
投打:右投右打
身長:175cm
体重:80㎏
ポジション:内野手
小学校:慶應義塾幼稚部
中学校:慶応義塾中等部
高校:慶応義塾高校
清原勝児選手は、175cmとそれほど大きくありませんが、父親の和博さんは188cmありましたから、これからさらに身長が伸びるのかもしれません。
清原勝児さんの画像①
続いては、清原勝児選手の小学・中学時代と主な成績について調べてみました。
清原勝児(慶応)の小学・中学時代は?
清原勝児選手は、小学・中学とそれぞれ名門野球チームに所属して腕を磨きました。
小学校時代は
清原勝児選手は、東京都港区で活動する「オール麻布」に5歳から所属していました。
オール麻布は、港区麻布地区の青少年の健全育成のために1992年に設立され、数々の優秀な成績を残している名門野球チームです。
オール麻布の画像
現在日本ハムでプロ野球選手として活躍中の、清宮幸太郎選手もこのチームの出身です。
清原勝児選手は、オール麻布のエースピッチャーで強打者として活躍しました。
小学校6年の時、清原勝児選手は選考試験にパスして、読売ジャイアンツジュニアに入り、NPB12球団ジュニアトーナメントで4番ファーストとしてプレーしました。
中学校時代は
中学時代は、名門「世田谷西リトルシニア」に所属していました。
世田谷西リトルシニアは、西武ライオンズで投手と監督として活躍した、東尾修さんがオーナーを務めるチームです。
世田谷リトルシニアの画像
数々の素晴らしい成績を残しているチームです。
清原勝児選手は中学2年生で、ジャイアンツカップ2019年優勝に貢献しました。
続いては、清原勝児選手の高校での主な成績と背番号について調べてみました。
清原勝児(慶応)の高校での主な成績!背番号は?
高校では、清原勝児選手は慶應義塾高校野球部に所属しています。
2022年10月に行われた、秋季関東大会の準々決勝昌平高校戦では、清原勝児選手は1年生ながら三塁手として先発出場しました。
清原勝児選手は、ヒットは打てませんでしたが、守備で貢献して試合に勝利し、選抜甲子園出場を決定づけました。
この試合には、父親も駆けつけスタンドで見守っていました。
清原勝児選手の動画を紹介します。
清原勝児選手の背番号は「5」、父親が巨人時代につけていた番号と同じです。
同じ背番号の息子を、父親はどのような気持ちで見ているのでしょうか。
清原勝児(慶応)兄は慶応大野球部!成績や背番号は?まとめ
父親から強靭な体を受けついだ清原勝児選手は、名門の野球チームに所属してめきめきと上達したのでしょう。
ついに父親と同じ甲子園の舞台で、活躍するチャンスが訪れました。
清原勝児選手の甲子園での活躍を期待しています。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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