鳥海連志選手は、パラリンピックの花形競技として注目される、車いすバスケットボール男子の日本代表選手です。
鳥海連志選手は、2016年に開催されたリオパラリンピックに、現役高校生で最年少選手として出場しました。東京パラリンピックではエースとして注目されており、日本の金メダル獲得が期待されています。
鳥海連志選手の経歴とwiki風プロフィール、車いすバスケットボールとの出会い、出身高校や大学、リオでの挫折、東京パラリンピックについて調べてみました。
詳しく調べてみましたので、ぜひ最後までご覧ください。
鳥海連志の経歴とwiki風プロフィール?
生年月日:1999年2月2日
出身地:長崎県長崎市
身長:134cm
体重:48kg
保育園:菜の花こども園
出身小学校:南陽小学校、大島小学校
出身中学校:大島中学校
出身高等学校:長崎明誠高等学校、大崎高等学校
出身大学:日本体育大学(中退)
所属:パラ神奈川スポーツクラブ/WOWOW
ポジション:ガード
鳥海連志選手は長崎県長崎市の生まれです。
鳥海連志選手の画像①
鳥海連志選手は生まれつき両手足に障害があり、3歳の時にすねの脛骨が欠損していた両下肢を切断し、右手の指は4本左手の指は2本しかありません。
「なんでもやらせる」環境?
鳥海連志選手は「菜の花こども園」という保育園に通っていました。
この保育園は、山を切り拓いてできたような保育園で、階段が滑り台なっていたり、山の斜面を利用した遊び場あったりするような保育園で、アクティブに遊べる環境が多くありました。
さらに、他にも障害のある子がいましたが、障害があるなしにかかわらずフラットに受け入れる体制が整っていました。
鳥海連志選手の画像②
鳥海連志選手のご両親は「連志にはやりたいことはやらせる」という明確な考え方を持っていて、保育園とどのように育てたいかを話し合い、「なんでもやらせる」という方針を立てました。
鳥海連志選手にとって、「菜の花こども園」での「なんでもやらせる」という環境が大きな影響を与えました。
鳥海連志選手のできない事を許さない負けん気の強さは、この頃形成されたのだと自ら語っています。
当たり前のようですが、ご両親と保育園が話し合いその子の育て方を共有する、理想的な保育の在り方だと思います。
続いては、鳥海連志選手の車いすバスケットボールとの出会いについて調べてみました。
鳥海連志の車いすバスケットボールとの出会い?
鳥海連志選手は地元の南陽小学校に入学し、6年生の時に父親の単身赴任先に引っ越すことになり、西海市の大島小学校に転校しました。
鳥海連志選手は小学校時代、サッカー、野球、バトミントン、バレーボールなどいろいろなスポーツを遊びとして経験しました。
鳥海連志選手は小学校を卒業し、地元西海市の大島中学校に進学しました。
競技スポーツを始めたのは中学1年の時で、テニス部に入りましたが、6月には辞めて車いすバスケットボールを始めました。女子バスケットボール部のコーチから車いすバスケットボールを勧められたのがきっかけです。
鳥海連志選手が「自分で限界を決めない」と語っている動画を紹介します。
鳥海家はバスケットボール一家で、鳥海連志選手はお兄さんのバスケットボールの試合の応援に行ったり、父親とバスケットボールをずっとやっていたりしたので、バスケットボールの道に進むことはごく自然の流れでした。
さらに、競技を始めた最初の頃は競技用車いすを乗りこなせず、ターンで転倒することもありましたが、遊びとしてうまく操る楽しさもあり、どんどんのめり込んでゆきました。
鳥海連志選手が車いすバスケットボールを始めるときに、家族と相談したときのことを次のように語っています。
鳥海連志選手は、中学1年から車いすバスケットボールチーム佐世保WBCに入り、本格的に車いすバスケットボールを始めました。
佐世保WBCは九州では常に1~3位を争う車いすバスケットボールの強豪チームです。
鳥海連志選手が入団したころ若手選手は一人だけで、10歳も年上の先輩のシュートやスピードについていけず、すごく悔しくその悔しさをバネに基礎を一から学び練習を重ねました。
週3回は佐世保WBCで練習し、その他に週2回は長崎のクラブチームで練習しました。
アスリートの記事をたくさん書いてきていつも思うのですが、一流のアスリートは強い精神力を持ち、大きなターニングポイントで、自ら引き寄せるように良き指導者と出会っています。
ご両親の明確な育て方があり、中学校のコーチや佐世保WBCの指導者たちとの出会いが、鳥海連志選手を一流のアスリートに育て上げたのだと思います。
続いては、鳥海連志選手の出身高校や大学、リオでの挫折について調べてみました。
鳥海連志の出身高校や大学は?リオでの挫折とは?
鳥海連志選手は中学校を卒業し、地元西海市の長崎明誠高校に入学しましたが、日本代表の合宿もあったことから同じ市内の大崎高等学校に転校しました。
16歳からは県代表、日本代表に選ばれ、国体や世界大会で活躍し、高校3年生の2016年に日本代表最年少選手としてリオパラリンピックに出場しました。
リオオリンピックでの挫折とは?
リオオリンピックの結果は9位、リオオリンピックに向けて合宿に参加し、生活の全てを練習にささげてきたのに、全く通用しない世界の壁に大きな挫折を味わいました。
鳥海連志選手は一時「バスケを辞めて、海外留学も考えるも」、親に説得され高校を卒業後日本体育大学へ進学することを決めました。
関東に引っ越すにあたり、いくつかチームを絞った中にパラ神奈川スポーツクラブ/WOWOWというチームがありました。
このチームには、ベテラン選手が多い中にジュニア時代から一緒にやってきた若手の古澤選手がいました。
鳥海連志選手は二人で頑張りたいと考え、このチームではある程度自分に自由が与えられ、ゲームコントロールできる立場を任せてもらえそうと考え、もう一度ここで車いすバスケットボールに向き合ってみようと考えました。
鳥海連志選手の動画を紹介します。車いすバスケットボールを始めるきっかけ、リオパラリンピックそして東京パラリンピックに向けた考えを語っています。
その後大学は中退し、社会人として車いすバスケットボールだけに集中できる環境を整えました。
続いては、鳥海連志選手の東京パラリンピックについて調べてみました。
鳥海連志の東京パラリンピックは?
鳥海連志選手は東京パラリンピック日本代表に選ばれ、初戦の対コロンビア戦で、15得点、16リバウンド、10アシストと、トリプルダブル記録を達成し、日本チームは63-56で勝利しました。
試合後の鳥海連志選手のインタビューを紹介します。
【速報動画】#車いすバスケットボール 男子予選リーグ 日本×コロンビア
63-56で勝利
15得点に加え 多くのリバウンドやアシストで活躍を見せた #鳥海連志 選手
「アグレッシブにいく持ち味を出せた」見逃しはこちらから☞https://t.co/UvSTYnyrf6#nhk2020#パラリンピック pic.twitter.com/FcJGBrJ0KY
— NHKスポーツ (@nhk_sports) August 26, 2021
鳥海連志経歴wikiプロフィール!出身高校や大学は?まとめ
この記事を書きながら、鳥海連志選手の体の強さ、前向きな心の強さに驚きました。
鳥海連志選手の東京パラリンピック、さらに今後の世界レベルでの活躍を応援しております。
最後までご覧いただき有難うございました。
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