佐藤幸椰(ゆきや)wiki経歴身長体重!父兄もスキージャンプ選手?

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スポーツ

佐藤幸椰(ゆきや)選手はスキージャンプのワールドカップで初優勝を飾りました。

佐藤幸椰(ゆきや)選手は小学校2年生の時に兄を追いかけてジャンプ競技を始め、社会人となって6年がたち遂にその努力が報われました。

日本のトップジャンパーの一人として、今後もワールドカップでの活躍が大いに期待されています。

佐藤幸椰(ゆきや)選手のwiki風経歴身長体重プロフィール、父兄もスキージャンプ選手などを調べてみました。

詳しく調べてみましたので、最後までご覧ください。

佐藤幸椰(ゆきや)のwiki風経歴身長体重プロフィール! 

名前:佐藤幸椰(さとう ゆきや)
生年月日:1995年6月19日
出身地:北海道石狩市
身長:161cm
体重:54kg
小学校:石狩紅葉小
中学校:石狩花川北中
高校:札幌日本大学高等学校
所属チーム:雪印メグミルクスキー部

佐藤幸椰選手の画像①

https://www.jsports.co.jp

インタビュー記事

佐藤幸椰選手がインタビューに答えた記事の一部を紹介します。

今年の抱負:ワールドランキング30位以内(国内5勝)
ジャンプを始めたきっかけ:兄を追いかけて
ジャンプの魅力:迫力があります
座右の銘:風の吹くまま、気の向くまま
一番好きな食べ物は:スープカレー
尊敬する人:本田圭佑選手
好きな芸能人:畠山愛理さん
カラオケの十八番:花の名

佐藤幸椰選手の座右の銘「風の吹くまま、気の向くまま」は、ジャンパーとして達観して出した答えと推測しました。

ジャンプ競技は風に影響されやすく、1本目のジャンプが良くても2本目で逆転されることが多々あります。

佐藤幸椰選手は日々大変な努力を積み重ねていても、結果を受け入れる覚悟がこの言葉に表れていると感じました。

続いては、佐藤幸椰選手の父兄もスキージャンプの選手と札幌ジャンプ少年団について調べてみました。

佐藤幸椰(ゆきや)の父兄もスキージャンプの選手?

佐藤幸椰選手のお父さんはノルディック複合の選手でした。

インタビュー記事にもありますが、佐藤幸椰選手がジャンプを始めたきっかけは「兄を追いかけて」と語っています。

お父さんの指導で兄弟そろってジャンプを楽しんでいたのだと推測しました。

札幌ジャンプ少年団

佐藤幸椰選手は小学校2年生の時に札幌ジャンプ少年団に入りジャンプ競技を始めました。佐藤幸椰選手は2002年から2011年まで札幌ジャンプ少年団で競技を続けていました。

https://www.facebook.com

嘗て札幌近郊の山には多くのジャンプ台があり、大人も子供も身近な遊びとしてジャンプを楽しんでいました。札幌オリンピック開催により市内整備や都市化が進み、ジャンプ台が徐々に減少していきました。

そのような状況下で札幌ジャンプ少年団は、札幌スキー連盟ジャンプ競技役員の有志が発案し、1972年の札幌オリンピック終了後まもなく発足されました。

発足当初の団員は100名を超えるほどでしたが、徐々に団員は減少し現在は25名程度となっています。

サッカー・卓球・バトミントンなどスポーツの多様化が進み、ジャンプ競技に魅力感じる子供が減少してるのだと推測しました。

続いては、佐藤幸椰選手の雪印メグミルク入社とワールドカップ初優勝について調べてみました。

佐藤幸椰(ゆきや)の雪印メグミルク入社!ワールドカップ初優勝!

佐藤幸椰選手は高校を卒業し2014年4月雪印メグミルクに入社しスキー部に所属しました。

雪印メグミルクスキー部は第二次世界大戦の終戦直後1946年に創部された歴史ある名門チームです。

雪印メグミルクスキー部は70年を超える歴史の中で日本のジャンプ界を常にリードし輝かしい成績を残してきました。

金メダリストの原田正彦氏が監督を務め、岡部孝信氏がコーチを務めています。二人は1998年の長野オリンピック団体で金メダルを取った元ジャンパーです。

雪印メグミルクスキー部の画像

https://www.meg-snow.com

写真は2列目左から、原田正彦監督・伊藤謙司郎選手・原田侑武選手・伊東大貴選手(主将)・栃本翔平選手・岡部孝信コーチ、1列目左から清水礼留飛選手・佐藤幸椰選手・佐藤慧一選手・小林潤志郎選手です。

佐藤幸椰選手は雪印メグミルクという絶好の環境の中で、毎日このメンバーと一緒に切磋琢磨しより高い成績を目指しているわけです。

ワールドカップ初優勝

佐藤幸椰選手は12月7日ロシア・ニジニタギルで開催されたワールドカップで初優勝を果たしました。

その動画を紹介します。

1本目のジャンプで佐藤幸椰選手は7位、8位には小林陵侑選手が入っています。

2本目のジャンプで逆転し初優勝を飾りました。

続いては、佐藤幸椰選手の将来の夢と見ている人が楽しくなるジャンプについて調べてみました。

佐藤幸椰(ゆきや)の将来の夢は?

佐藤幸椰選手が将来の夢を語っている記事がありました。

佐藤幸椰選手の画像②

https://hochi.news

佐藤幸椰選手は記者に質問にについて次のように語っています。

  • 海外でのジャンプの人気について?
「選手ももちろん、ジャンプ場に駐車場を作るとかそういうことも大事かな、と。雪国でバスでしか行かれない、車はダメとなると『ちょっと…』と考える人も多い。国ごとの考えもあり難しいけれど、海外では日本のプロ野球のように3~4万人が現地で熱狂してくれる。サインをもらいに来る人も酒臭い人ばかりだったり…(笑い)。『ジャンプの楽しみ方の一つとしてそういう要素も必要だよね』という話は遠征中も選手間でよくしています」
  • ジャンプ競技会全体について?
「僕自身純粋に飛ぶのが好きで雪印に入った。だから競技界のためという意識はあまりないんです。でも今は陵侑という存在がいる。僕や慧一君がポンポン続いていけば、ラグビーや陸上の(4×100メートル)リレーみたいに『今日は○○選手だ』『今度は△△だ』と連なってジャンプを見てくれると思う。強い選手がいれば子供たちも釘付けになって結果として競技にも興味を持ってくれる。そのために成績を出していくしかない」
  • 今年色紙に書いた躍動とは?
「この数年で応援してくれる人も増えてきた。今季はこれまで以上に『佐藤幸椰、きてるな』って思ってもらえる存在になりたい。“躍る”ように飛んで、見ている人も楽しくなるようなジャンプができたらと思います!」

1998年の長野オリンピック当時は、北海道だけでスキー競技人口が約3,000人いましたが、現在は約1,500人と半減しています。

佐藤幸椰選手の夢は、ジャンプ競技で良い成績を残す事だけではありませんでした。

世界各国では高い人気を誇るジャンプ競技、日本でもジャンプ競技全体が発展することを、佐藤幸椰選手は望んでいるのです。そして、佐藤幸椰選手のジャンプを見た人が「楽しんで」ジャンプ競技を目指す子供達が増えることにつながれば良いという事でした。

佐藤幸椰(ゆきや)wiki経歴身長体重!父兄もスキージャンプ選手?まとめ

佐藤幸椰(ゆきや)選手はワールドカップ初優勝を成し遂げました。佐藤幸椰選手がその先に夢見るのはジャンプ競技の発展であることが分かりました。

今後の佐藤幸椰選手のワールドカップでの活躍と、ジャンプ界の発展を期待しております。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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